禅の経験を通して知った学び
目次
概要
最近、曹洞宗の林泉寺で禅を教えてもらいました。その際に知った学びをまとめていこうと思います。
そもそもなぜ禅をしようと思ったのか
最近、友人と話す機会があり、「ずっと思考しているから、息抜きができていないのでは?」という話を聞きました。何かプログラミング以外で自分の思考を止めることをやりたいなと思い、禅を一回やってみることにしました。
(今考えると、サウナだったり筋トレでも良かったなと思いましたが、それらも追々チャレンジしようと思います。)
禅の経験を通して知った学び
呼吸に集中する
禅をしていると何かしら考えてしまいます。呼吸に集中することで、考えることをやめて今に集中することができます。もし半跏趺坐をしている場合、目線は斜め下を見ます。目線の斜め下に合わせて首も下を向いてしまうと息がしづらくなってしまうので、首は水平にします。
起きたら起きたでいいじゃないか。だからなんなんだ。起こったからなんなんだ。腹の中に落とし込め。自分の生き方を変えるな。
これは確か住職の方がおっしゃっていた言葉です。記憶が曖昧なので、一語一句正確なわけではないですが、確かこんなことを言っていました。個人的にはこの考え方は好きです。人は生きていると、将来に対して不安になったり、心配になったりするでしょう。だからこそ、起きたことをありのまま受け止める、だけど自分の生き方は変えないというこの考え方に強く惹かれました。
僕の場合、エンジニアをやっていく中で、自分はこのままやって将来なりたい姿になれるのかなと不安になったりする時があります。そのため、別の道もあるのではないのかなと思ってしまい、考え方がブレてしまいます。そういう今だからこそ、この考え方は大事にしたいなと思いました。(納得するまでやり切ったり、方向性が違うなら変えるのは全然アリだと個人的には思う)
実践が伴っていない知識は頭でっかちになりがち
これも住職の方が言っていた言葉です。禅に関する本をどんだけ読んで詳しくなっても、実際に禅をしたことなかったら意味がなくて、知識ばかり持っていて頭でっかちな考え方になってしまうよねということを言っています(つまり、本来は状況や手札、知識、経験に応じた最適解を出すのが良いのに、知識に執着してしまうことを表している)。禅では知識よりもまずは実践を重んじるそうです。これには私も同意します。確かに知識を蓄えることで成長しているような気もするのですが、それらの知識をどのように使うかは、実践が共わないと身につかないなと思います。つまり、知識とその知識を使った経験があって、初めてその知識が血肉になって身につくことを意味してます。やけにいろいろ詳しいけど、実戦では何もその知識を生かせず、投資のリターンを適切に回収できないパターンになってしまいます。
エンジニアやっていると面白そうな本がいっぱいあって、それらを学べば強くなれるのかなと思うのですが、実践があるから知識が血肉になるなとやっぱり思ってしまうので、なるべく勉強しすぎないように今は気をつけています。勉強と実践(エンジニアの場合、個人開発とかも実践に含める)のバランスが半々くらいがちょうど良いのかなと個人的には思います。
自分の価値観でやりたいことを「やって良かった」と思えるまでやり続ける
人に褒めてもらうと、すごく嬉しいですよね。ですが、褒められ続ける人生っていうのも、人の要望を叶えるためだけに自分が存在しているようで、ちょっとむなしく感じませんか?自分の責任で人生という道を歩んでいきたいなら... 人の価値観ではなく、自分の価値観でやりたいことを「やってよかった」と思えるまでやり続けてみましょう。
きっと心が軽くなるよ♪“禅(ZEN)”の思想から学ぶ「シンプルな生き方」 | キナリノ
この言葉は禅を調べていく中で良いなと思った言葉です。この言葉を見たときにハッとしました。褒めるられることで、もっと褒められたいと思うようになり、人の欲望を叶えるようとする思考になっていたんだなと思いました。人に褒められるかどうかは関係なくて、自分の価値観でやりたいことを「やって良かった」と思えるまでやり続けるのが大事なんだなと学びました。
終わり
久しぶりに色んな人たちと関わって、昔いた大企業での生活を思い出しました笑。正しいことを言っているのに下の意見が重視されなかったり、なんでやるのかみんなわかっていない仕事や慣習があったり、そういうのが嫌だから、実力で勝負できるスタートアップに行こうとしていたんだなということを思い出しました笑。小さすぎると実力があっていない可能性があるし、逆にデカすぎると上で言っていたようなことが起きるので、次転職するなら、100人規模の中くらいの企業に行こうかなと思います。